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道尾秀介『水の柩』の感想レビュー 彼女たちの嘘を忘れることに救いを求めた先に待つ哀しい結末

yuu(ゆう)

こんにちは。
yuu(@yu_yu211)です。

今回は、道尾秀介さんの『水の柩』を読んだ感想についてご紹介して行きます。

『水の柩』は2011年に出版された、道尾秀介さんの長編小説です。

この小説はミステリー作品ですが、道尾秀介さん特有の叙述トリックによる大どんでん返し要素は少なめです。
道尾秀介さんの作品の中でも、珍しい1冊であることは間違いないです。

タイムカプセルに入れた20年後の自分への手紙をめぐって、中学二年生の男女二人の心模様を描いた青春要素も強めな作品です。

最期に迎えた結末は、個人的には哀しく衝撃的でした。

それでは『水の柩』について詳しくご紹介していきます。

道尾秀介『水の柩』のあらすじ

私たちがあの場所に沈めたものは、いったい何だったのだろう。

五十数年前、湖の底に消えた村。少年が知らない、少女の決意と家族の秘密。

誰もが生きていくため、必死に「嘘」をついている。

老舗旅館の長男、中学校二年生の逸夫は、自分が“普通”で退屈なことを嘆いていた。同級生の敦子は両親が離婚、級友からいじめを受け、誰より“普通”を欲していた。文化祭をきっかけに、二人は言葉を交わすようになる。「タイムカプセルの手紙、いっしょに取り替えない?」敦子の頼みが、逸夫の世界を急に色付け始める。だが、少女には秘めた決意があった。逸夫の家族が抱える、湖に沈んだ秘密とは。大切な人たちの中で、少年には何ができるのか。

道尾秀介OfficialWebsiteより

道尾秀介『水の柩』の書籍情報

著者 道尾秀介
発行日 単行本:2011年10月
文庫本:2014年8月
発行元 講談社
ジャンル ミステリー・サスペンス
ページ数 単行本:290ページ
文庫本:368ページ
著者のその他作品 雷神|月と蟹|カラスの親指|向日葵の咲かない夏|etc

道尾秀介『水の柩』を読んだ感想とレビュー

それでは、『水の柩』を読んだ感想とレビューについてお話していきます。

以降ネタバレ要素を含むので、まだ読まれていない方は読んでから記事をお読みいただくことをおすすめします。

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ささやかな騙され要素

この小説の冒頭は2枚の手紙の文面から始まります。

一つは、主人公の吉川逸夫が20年後の自分へ宛てた手紙。
そしてもう一つは、木内敦子の手紙。

小学校6年生の頃にタイムカプセルに入れた2枚の手紙を巡って、中学生男女二人の青春ストーリーが幕を開けます。

敦子がタイムカプセルへ入れた手紙は、20年後の自分宛の手紙などではなく、ずっと敦子をいじめてきた連中を告発するための手紙でした。

この手紙を巡って、逸夫と敦子はタイムカプセルを掘り返し、手紙を入れ替えることを企てます。

手紙に関する序盤の言い回しから、敦子が迎えた結末について読者は完全な思い込みを持つことになります。

道尾さんの作品に幾度となく騙されてきた私は、敦子は同級生にいじめられていたのではなく、実はネグレクトにあっていたのではないかなどと、少しねじ曲がった発想を持ってしまいましたが、この予想は間違いに終わりました。

生きるために嘘をつく

この小説のテーマの一つとなっている「嘘」

主人公の逸夫は物語の中で二つの嘘を知り、心を揺れ動かされていきます。

逸夫の祖母であるいくは、ダムに沈んでしまった故郷の村を離れてから70年もの間、嘘をつき続けてきました。
大金持ちの家のお嬢様であったという嘘の過去は、時が経つにつれいつしか本当の自分の過去のように思えるようになっていました。
その背景には、どうしても忘れてしまいたい悲しい過去の出来事が隠されています。

一方で敦子は、学校で激しいいじめに遭い悲観していました。
自殺を決意した敦子は、自殺の根拠となってしまうであろうタイムカプセルの手紙を無かったことにしたいと考えます。

タイムカプセルに入れた手紙をすり替えた後、ダムへ向かって自殺を図ろうとします。
しかし、逸夫や妹の史(ふみ)に対しては、ヒントを残しています。
逸夫はその違和感に気付き、ダムへ向かって敦子の自殺を食い止めようとします。
ダムに到着した敦子は、自殺を決意しながらも、生きたいという感情を最後まで抑えきれずにいます。
心の叫びとは裏腹に死に迫ろうとする敦子の体。
敦子は自殺を望みながらも心の奥では逸夫に救われることを願っていました。

人は誰もが嘘をつきます。
大小様々な嘘は、他人を守るため、自分を守るためにつくことがほとんどです。

この物語で登場する「いく」や「敦子」も辛い過去の出来事から自分を守るために嘘に頼っていました

人は嘘をつく一方で心の底では誰かに気付いて欲しいと願っているのかもしれません。
嘘をつくということは、人間にとっての防衛本能の働きの一つであり、生きるために必要なことなのかもしれないですね。

忘れることと乗り越えること

「忘れる」ということは、人が生きる上で割と重要な機能を担っています。

楽しい過去も、辛い過去も、いつか忘れてしまうから、
今を楽しむことができるし、辛さをも乗り越えられる。
忘れることができるから、新しい気持ちで臨むことができます。

作中の中でこういった記述があります。

何かが解決するのと、何かをすっかり忘れてしまうのと、どう違うのだろう。
いくと敦子を見ていると、逸夫はわからなくなる。
忘れることと、忘れずに乗り越えることの違いはどこにあるのだろう。

道尾秀介|水の柩|講談社 より

笑子に教えてもらった、忘れてしまうことの大切さについて、逸夫が答えが導き出せなくなっている描写です。

忘れずに乗り越えられたらひと回り強い自分になれるのかもしれないけれど、
忘れられないことが自分の弱さにつながってしまうのであれば、忘れてしまった方が幸せなのかもしれないと思ってしまったシーンでした。

ラストシーンの解釈

『水の柩』では、「いく」と「敦子」の二人が、主人公や読者に対して疑問を投げかけるような登場人物として登場しました。

逸夫は、過去に苦しむ「いく」と「敦子」とともに、ダムへ行き、自分たちに見たてな人形をダムの底に沈めます。
この行動の解釈は、ストレートに過去の精算と考えて良いかなと思いました。
3人は人形をダムに投げ捨て、新たなスタートを切ります。

結末では、
「いく」は痴呆という形で様々なことを忘れてしまいました。
一方で「敦子」はいじめの加害者に対する抵抗を思わぬ形で実行し、自らいじめを克服します。

この二人にもたらされた結末は、
逸夫が笑子との会話から感じていた疑問に対する答えに繋がります。

先ほども登場しましたが、以下の会話です。

何かが解決するのと、何かをすっかり忘れてしまうのと、どう違うのだろう。
いくと敦子を見ていると、逸夫はわからなくなる。
忘れることと、忘れずに乗り越えることの違いはどこにあるのだろう。

道尾秀介|水の柩|講談社 より

いじめを自ら解決し、乗り越えた「敦子」
痴呆により過去を忘れてしまった「いく」

この二人の結末に、先程の疑問に対する答えがあります。

そして、最後の文章がとても印象的で深い表現で書かれています。

光る空気の向こうに敦子といくを見ながら、逸夫は自分でも説明のつかない、何か小さなものが光を振りまきながら弾け飛んでいくような感覚と、とてつもなく大きなものに対して正面からぶつかってやりたいような衝動に、強く歯を食いしばった。

道尾秀介|水の柩|講談社 より

逸夫が人形をダムに沈めようと思ったのは、過去を忘れてしまった方が良いと思ったからです。

しかし結果的に「いく」は痴呆という形で過去を忘れてしまい、
「敦子」は過去を忘れずに乗り越えるという形になったことで、
逸夫の中では、忘れてしまうことが本当に正しかったのか?
という疑問が生じます。

そしてラストシーンで、「いく」は痴呆により「敦子」のことを、幼い時に死んでしまった友人の「たづ」と勘違いし、抱きつき号泣します。
「いく」はボケてしまったものの、忘れてなどいなかったということです。

この結末を目の当たりにした逸夫は、信じていたものが一気に弾け飛んで、何か運命のような不確実で揺るぎないものに対して懐疑的な感情を抱いてしまったのだと思います。

結局は表面上は忘れてスッキリしているように見えても、中身の方はわからないということですね。

この点については、作中に出てくる「いく」の蓑虫(みのむし)の話が伏線になっていたような気がします。

さいごに

『水の柩』はミステリー的な面白さはちょっと抑え目の作品でした。

ただ、人間の奥深いところに焦点を当てて物語が構築されていて、その辺りはさすが道尾秀介といった感じでした。
道尾さんの作品はミステリーでありながら、人間味に思いっきり焦点を当てている作品が多いので本当に好きです。

小説をストーリーの面白さだけでなく、登場人物の心情や作者の意図といった部分まで深掘りして読むのが好きな人にはとてもおすすめできる作品でした。

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